シルクロード(絹の道)は、東西を結ぶ交易路で、東のアジアの大都市、長安から西のヨーロッパの入り口、東ローマ帝国のコンスタンチノープルまでの約4000キロの道程を言います。大沙漠を海原になぞらへ、“砂漠の船”といわれる駱駝(らくだ)の隊商が絹を運んだ道として知られていますが、そのシルクロードはまた、絹だけでなく、東西の産物や、楽器や音楽を運んだ往返の道でもありました。
前述の漢以降も、北魏、・随・唐の時代を通じて、隊商や西域に遠征した軍人たちが、シルクロードを通って、その民族色豊かな西域の音楽を、古代中国にもたらし、文化の伝播役を果たしたのです。
また琵琶は、シルクロードを旅するつれづれの道すがら、単調な沙漠の旅を慰める友でもありました。京劇の題材にもなっていますが、漢の時代、勅命で、琵琶の音を慰めに、勾奴に嫁入りした王昭君の哀話は、琵琶がシルクロード往還の携帯楽器であったことを物語っています。
いずれの道も炎熱のタクラマカン沙漠を通らなければなりません。後漢の求法僧の法顕(ほっけん)伝によれば、
「沙漠の中は、しばしば悪鬼、熱風が現れ、これに遇えば、皆死し、一人として無事なるもの無し。上に飛鳥無く、地に走獣無し。目を極めるところ、行路を求めんとするも拠り所無く、ただ枯骨を標識とするのみ」
沙漠を横断する道しるべが、風沙にさらされた動物の乾いた骨だけというのも驚きです。「ここに入ったら二度と生きては戻れない」という意味のタクラマカン大砂漠―ここをなんとか抜ければ、ようやく西端のオアシスの都邑、カシュガルに辿り着きます。旅人は、ここで一息入れ、峻険のパミール越えに備えるのです。
世界の屋根、パミールの峠を越えれば、康国(サマルカンド)に出ます。あとは中央アジアを通り、黒海の方向をめざす行程ですが、その道のりはまだまだ果てしなく続きます。(つづく)