六甲三渓、峻気みなぎり、白雲流れる処、赤籏あり。北は山麓、南は海、西、一の谷の屏風岩、東に眼を転ずれば、緑は深き生田の森、大手木戸口と定めたり。
いざござんなれ、川を挟みて迎え撃つ、平家の総大将、新中納言平知盛卿、副将は、本三位中将平重衡卿、相伴う人々、武蔵の守知章、淡路守平清房、尾張守平清定、都合その勢、五千余騎、
(素語り①)『各々方、油断めさるな、今朝の敵の動きは、尋常ならず、戦いは一日早まりしぞ、後白河院の使わし和解の宣司は偽計なり。御大将の下知ぞ、心して承れ』
弓手に、松明の明かり赫々と、火の粉を散らし、縦横疾駆の伝令武者、声高々に呼ばわったり。
新中納言平知盛は、駿馬、井上黒にまたがりて、黒き烏帽子に白鉢巻き、鐙踏ん張り、立ち上がり、平家の軍勢に、下知致す。
(素語り②)『皆のもの、去年の夏より筑紫を振り出しに、艱難辛苦の一年なるも、西国を収めて捲土重来、この福原の地に戻りたり、この大手口に敵を引き付け、守りなば、山手の、能登の守殿、通盛殿の軍勢、丹波路を馳のぼり、都へ一気に攻め上るべし。勝運我にあり、臆すな、皆の衆~』
城郭なして、土塁を築づき、幾重の逆茂木、堅固の陣、「えい、えい、おう」の掛け声は、生田の森を駆け抜けて、はるか鵯越まで届きたり。
暁暗の薄墨流せし朝ぼらけ、大手木戸口の櫓より、源氏の方を見渡せば、人も馬も定かならず・・・。
遠山より明け六、知らす鐘の音、相呼応して源氏のときの声、
と、その時であった、逆茂木をよじ登り、越え来る二つの黒き影、重籐の弓、小脇に抱え、大音声を上げて、
(素語り⓷)『武蔵野国の住人、河原の太郎私市の高直』、
「同じき次郎盛直」、
「生田の森の先陣ぞや~」
平家の陣営、これを見て、「小癪なるも、あっぱれかな、この大勢のなかへ、たった二人で攻め入るとは、何ほどのことやあらん。まずは捨て置け」と笑って、悠々眺め居たり。
されどこの兄弟、指し攻め、引き攻め、散々に、矢を射こむ。
「これは捨て置かれじ、今はやむ無し」と、味方の強弓、備中の住人真名辺五郎、弓、きりきりきりと引き絞り、ひょう~と放つ。一の矢、太郎の胸板貫き、思わず次郎駆け寄れば、すかさず飛び来る峻烈の二の矢、逆茂木枕に、折重なりて討ち死にす。
梶原平三、これを見て、「不覚なり、河原兄弟を討たせしは、私党の失態なり。この死を無駄にするな。間を空けず、攻め寄せんかな」と手勢五百余騎、逆茂木を取っ払い、打ち寄せたれば、ここに大手木戸口の戦い切って落とされぬ。
両軍、ここを先途と戦いて、入り乱れ、入り乱れ、数を尽くして戦えば、射られ、斬られて死ぬるを知らず、馬は嘶き、血しぶき、飛びて、人馬の死骸、やまの如し。生田の森は、緑染めなし、薄紅にぞなりにける。
時は移りて、平家の後方にざわめき走る。
(素語り④)『おお、御大将、ご覧じろ、一ノ谷の方向に煙が!』
知盛、はったと振り向けば、
西の方に、黒煙上がり、忽ちのうちに大空に棚引きたり。
(素語り⑤)『スワー! あれは、盛俊殿の夢野の木戸口か、はたまた、忠度卿の守りし一ノ谷の西木戸か~、はや、搦め手の義経軍に押し出されしと見えたり』
兵は大いにざわめきて、次第、次第に大波寄せるが如く、敵の軍勢、勢いづけば、味方の兵は、浮き足立ち、東に戦わずして、西に走る。知盛、兵を鎮めれど如何せん、足は宙を舞うがごとし。
(素語り⓺)「やむなし、ここは一旦退き、山手の能登殿や通盛殿、盛俊殿と合流すべし、知章、頼方遅れるな~」
皆の衆、我に続けと馬に鞭あて、山道を急げば、やんぬるかな、すでに、味方の陣は打ち破られ、陣形立て直すすべもなし。今は、磯辺を目指し、活路をみいだすのみと、馬の頭を南に向けて、福原流るる刈藻川、一気に掛け下らんとするその刹那、伏兵興りて、行く手を阻む。次第、次第に共の武者、はぐれ、はぐれて討ち取られ、残るはわずか主従三騎のみ。馬の吐く息、湯気となり、馬脚重く、ぬかる田を行くが如し。
(素語り⑦)『ここに、団扇の旗差し、児玉党、十騎ばかり、みるみるうちに、姿大きくなりて迫り来る。弓が手練れの監物太郎頼方、とって返し、弓矢を番い、旗差し者を、馬より逆さに射落とせば、それには目もくれず、敵の武者、知盛目掛け、馳よりて、組まんと並ぶところを、「父を討たせてなるものか」と、知章、すぐさま馬を寄せ、割って入るや、むずと組んでどうと落ち、取って押さえて、大将の首を取るも、立ち上がりざま、侍武者に、あえなくも討ち取られた。
監物太郎頼方、これを見て、またその武者を討ち取るも、奮戦やむなし、弓手の膝口をしたたかに射られて、立ち上がれぬまま討ち死した。
討って討たれるその合間、見届ける間も有らばこそ、御大将、知盛卿は、坂道を一気に馳下り、助け船の待つ渚にたどりついたのであった』
磯の香薫る、駒ヶ林で、馬を止め、通り越し方を目で追えど、二人の姿、すでになし。
敵は、いよいよ、近づきぬ・・・。我が身さいなむ暇もなく、愛馬、井上黒の鬣を撫で、「頼むぞ」と、声を掛ければ、轡の刃金
きりりと噛んで、ざんぶと海に打ち入れば、二十余町の大海原、残る力を振り絞り、御座船を目指して泳ぎたり。
知盛、舩にたどり着き、兄、宗盛卿の顔をみるや、どっと崩れて膝をつく。
(素語り⑧)「兄じゃ、知章にも後れ候、監物太郎にも後れ候いぬ。子が、親を討たせまじと、敵に組むのを見て、いかなる親なればこそ、みすみす、子の討たれるを見て、遁れくる者あるべきや。
人の事となれば、あれこれ咎めるを、我が事になれば、よう命は惜しいものにて候うや。ただただ、恥ずかしゅう候」と鎧の袖を顔に押し当て、さめざめと泣かれたり。兄、宗盛卿も、「武蔵守が、父の命に替わられたりけるこそ殊勝なれ。腕もきき、心も剛毅で、大将軍にておはしつる人を」としみじみ慰め参らせて、我が子清宗を振り返り、「知章殿は、今あの清宗と同じ十六歳よな」と涙ぐみぬ。
知章、今際の際に念ずるは、父上、ご無事に落ち行きあれ、太刀を振るえば、梓弓、帰るすべなき明泉寺、花も嵐の十六歳、露と消えにし若武者の、瞼に浮かぶは幼き日、共に遊びし母の姿かな。
治部卿の局は、御簾の影、守貞親王に寄り添いつ、夫、知盛の姿、垣間見て、父を守りし我が子の最期に、嗚咽こらえて忍び泣き、衣の袖やしおるらん。
(和歌)いざさらば、涙に曇る浜磯や、想い残して波路たどらん。(月心)
嗚呼、一族の命運掛けて親と子の、共に戦いしその絆、
海より深く山よりも、高く聳えて一ノ谷、さざなみ寄する須磨の浦、静に佇む明泉寺、緑の木々や百舌の声 (了)