(謡出)治承の平門、緑春栄を争い、今は木の葉もちりじりに舞うや寿永の秋の風。乱世の習いすべもなく、累代嫡々六代と、呼ばれし人の行く末は、
(切)散るを急がん沙羅の花、儚きことこそ哀れなれ。
幼き者をば水に漬け、土に埋めて、長ずれば、押し殺し、刺し殺されるよと、巷のもっぱらの取りざたに、平家ゆかりの女房達は、声を震わせ怖きぬ。
(詞)「此処に、若君六代御前という人は、清盛公の曾孫にて、三位の中将維盛卿を父に持ち、御歳十二歳におわしけるが、平氏の嫡流の故以て、源氏が特に探し求める御人なり」
(変調)山里深き嵯峨野のはずれ、奥の山寺又その奥の草木も茂き菖蒲谷、人目憚り北の方、幼き姫君、乳母等と、息を潜めて隠れおりしが、遂に北条時政は、文治二年師走の十七日、六代御前を見つけたり。
(中干)母は、若君かき抱き、この子に替わり妾をと哀願すれど、詮方なし。
しばし涙にくれけるが、やがて気を取り直し、急ぎ着替えさせ給う。
愛児の御髪掻き撫でて、黒木の数珠を手に持たせ、「これを頼りに念仏し、御仏におすがり給えや」と諭す心も哀れなり。
(謡)さても、文覚上人は、高尾の聖と呼ばれしが、乳母に助命頼まれて、時政に二十日の猶予を頼みおき、急ぎ鎌倉に旅立ちぬ。
待ち人一日千秋の、聖はいまだ帰洛せず。約束の時は早過ぎて、今はやむなしと時政は、六代連れて東路を下り行けども、文覚坊に行き会わず、やがて駿河の千本松原、この
まま鎌倉入りも叶わぬ仕儀と、「若君、下りさせ給え」命じたり。
(下) 今日を限りと、うち見えし、はかなき露の命かな。六代御前は、黒髪を、みずから前へ掻き束ね、頸をのべてぞ覚悟する。
嗚呼、痛わしや、神仏も見放し給うかと、郎党、斎藤兄弟は、地に這い、顔を押し当てて、打ち泣きくずるその刹那、
(崩れ) ふとなにやらん、かすかに伝わる地底の響き。すわと、耳を押し当てれば、次第に高まる馬蹄の音。街道彼方、うち見れば、月毛の馬に鞭打ちて、墨染め袖をたくし上げ、馳掛け来る荒法師、
「おおい、早まるな、その仕置き、鎌倉殿の御教書これにあり」
と馬上より振り絞る大音声、時政、急ぎ開いて見れば
「六代御前を高尾の聖、文覚坊にしばし預けらるべし」とまさしく頼朝公の花押印。
(地)六代の難儀ひとまず去りて、母御、乳母ら喜びあうも、鎌倉殿の猜疑の目はいつも六代に向けられたり。
早々三年も打ち過ぎて、六代御前も十六歳、斎藤五・六うち連れて、仏道修業に旅立ちぬ。
(吟替)高野の山は春霞。父が尋ねた滝口入道に、父の有様、詳しく聞いて、御跡辿れば熊野路や、入水給うた那智の沖。岸打ち寄する白波や、
(地)父が沈むは何処ぞと、問いかけたれど応えなし。浜の真砂を手に取りて、「これは慈父の御骨ならん」と、想うも滂沱の涙かな。
その日は浜辺に留まりて、磯の香りを懐かしみ、経読み、一心に夜もすがら、父の菩提をとぶらいぬ。
(詞)やがて、時めぐり日はたちて、六代御前、今は三位の禅師と呼ばれ、高尾の奥に住まいしが、鎌倉殿に、「さる人の子。さる人の弟子なり。たとい頭を剃り給うとも、心をば、よも剃り給わじ」と召し捕られ、再び関東へ送られたり。
(謡出)春未だ遠き相模の国の、千鳥しば鳴く田越川、やがて、六代御前は、引き出され、西方に向かいて筵に座せば、黒数珠、静かに押し揉みぬ。
(中干)有り難や、母が祈り給うた長谷観音の、大悲によりて今日までも生かされしこと、これ弥陀のご加護なり。我一身の命を以て尽く宗族の罪業を滅し給え。加えて今生、一族の輩にあまねく仏恩を願わなむ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と両三返、念仏唱え、母上、縁者に暇告げれば、やがて、時刻となりにけり。青竹囲いも折れなば折れよ、必死にすがる郎党の、堰き来る涙、主従の別れ、眼と眼で交わし、居ずまい正せば、前に気高き冨士の山。
「駿河の国の住人、岡邊の権の守泰綱、謹んで介錯仕り候」と六代御前に、声を掛け、「えい」と一声、太刀振り下ろす。
(大干) 嗚呼、悲情なるかな、如月の、川面を渡る風寒し、しじま破りて田鶴鳴き渡れば、ここに平家の嫡孫、永く絶ゆ。
(歌出) 戦終わりて十有余年、世の人々は口々に、平家の嫡子に生まれずば、かくなる憂き目に逢わずともと、袖打ち濡らさず者は無かりけり。袖打ち濡らさずは無かりけり。