2016年11月16日水曜日

六代御前(今平家)



謡出)治承の平門(へいもん)(みどり)(しゅん)(えい)を争い、今は木の葉もちりじりに舞うや寿永の(あき)の風。乱世(らんせ)の習いすべもな累代(るいだい)嫡々(ちゃくちゃく)六代と、呼ばれし人行く末は、
(切)散るを急がん沙羅(しゃら)の花(はかな)きことこそ(あわ)れな
(大干)時は文治元年、北条四郎時政は、、平家の子孫を探索し、後顧(こうこ)の憂い断つべしとの鎌倉殿の(めい)を受け、日夜、仕末に追われたり。

幼き者をば水に()け、土に埋めて、(ちょう)ずれば、押し殺し、刺し殺される(ちまた)もっぱらの取りざたに、平家ゆかりの女房達は、声を震わせ(おのの)きぬ。
(詞)「此処(ここ)若君(わかぎみ)六代(ろくだい)御前(ごぜん)という人は、清盛公曾孫(そうそん)にて三位(さんみ)中将(ちゅうじょう)(これ)(もり)(きょう)を父に持御歳(おんとし)十二歳おわしけるが平氏の嫡流(ちゃくりゅう)(ゆえ)(もっ)て、源氏特に探し求め御人(おんびと)なり
(変調)山里(やまざと)深き嵯峨野(さがの)はずれ、奥の山寺(やまでら)又その奥の草木(くさき)も茂き菖蒲(あやめ)(だに)人目(はばか)北の方、幼き姫君乳母(めのと)息を潜めて隠れおりしが北条時政は、文治二年師走(しわす)十七(じゅうなぬ)()六代御前を見つけたり
(中干)母は、若君(わかぎみ)かき(いだ)き、この子に替わり(わらわ)をと哀願(あいがん)れど、詮方なし。
しばし涙にくれけるが、やがて気を取り直し、急ぎ着替(きが)させ給う。
愛児の御髪(おぐし)()()黒木(くろき)数珠(じゅず)を手に持たせ、「これを頼りに念仏し、御仏(みほとけ)におすがり給えや」と(さと)す心も哀れなり。
(謡)さても、(もん)(がく)上人は、高尾の(ひじり)と呼ばれしが、乳母(めのと)に助命頼まれて時政に二十日猶予(ゆうよ)を頼みおき、急ぎ鎌倉(かまくら)(たび)立ちぬ。
待ち人一日千秋の、(ひじり)いまだ帰洛せ約束の時は早過ぎて、今はやむなしと時政は、六代連れて東路(あづまじ)り行けど文覚坊に行き会わずやがて駿河(するが)千本(せんぼん)松原(まつばら)、この
まま鎌倉入り叶わ仕儀若君()りさせ給え」命じたり。
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(下) 今日を限りと、うち見えし、はかなき(つゆ)の命かな六代御前は黒髪みずから前へ掻き(たば)(くび)べてぞ覚悟する
嗚呼(ああ)、痛わしや、神仏も見放し給うかと、郎党、斎藤兄弟は、地に()押し当て打ち()きくその刹那、
(崩れ) ふとなにやらん、かすかに伝わる地底(ちてい)響き。すわ、耳を押し当てれば、次第に高まる馬蹄(ひずめ)の音。街道(かいどう)彼方(かなた)うち見れば月毛(つきげ)の馬に鞭打ちて、墨染め袖をたくし上げ、(はせ)掛け来る(あら)法師(ほうし)
おおい、早まるなその仕置き、鎌倉殿の御教書(みきょうしょ)これにあり
と馬上より振り(しぼ)大音声(だいおんじょう)時政、急ぎ開いて見れば
「六代御前を高尾(たかお)(ひじり)、文覚坊にしばし預けらるべし」まさしく頼朝公の花押(かおう)印。

(地)六代の難儀(なんぎ)ひとず去りて母御、乳母ら喜びあうも、鎌倉殿の猜疑(さいぎ)の目いつも六代()けられたり
早々(はやはや)三年(みとせ)も打ち過ぎて六代御前十六斎藤五・六うち連れて道修業に(たび)立ちぬ。
(吟替)高野の山は春霞。父が尋ねた滝口(たきぐち)入道に、父の有様詳し聞いて、御跡(みあと)辿れば熊野(くまの)()入水(じゅすい)給うた那智の打ち寄する白波(しらなみ)や、
(地)父が沈むは何処(いずこ)ぞと、問いかけたれど(こた)なし。浜の真砂(まさご)を手に取りてこれは慈父(ちち)(おん)(こつ)らんと、想うも滂沱(ぼうだ)かな
その日は浜辺に(とど)りて、磯の香りを懐かしみ(きょう)()一心に夜もすがら父の菩提(ぼだい)をとぶらいぬ
()やがて、時めぐり日はたちて、六代御前、今は三位(さんみ)禅師(ぜんじ)呼ばれ高尾(たかお)の奥に住まいしが、鎌倉殿「さる人の子。さる人の弟子なり。たとい頭を()(たも)うとも、心をば、よも剃り(たま)わじ」と召し()、再び関東へ(おく)たり

(謡出)()だ遠き相模(さがみ)の国の、千鳥(ちどり)しば鳴く()(ごえ)、やがて、六代御前は、引き出され、西に向かいて(むしろ)に座せば黒数珠(くろじゅず)、静かに押し()みぬ。
(中干)有り難や、母が祈り給うた長谷(はせ)観音の、大悲によりて今日(きょう)まで生かされしこと、これ弥陀(みだ)のご加護なり(われ)一身の(いのち)を以て(ことごと)宗族(しゅうぞく)罪業(ざいごう)(めっ)し給え。加えて今生(こんじょう)一族の(ともがら)あまねく(ぶつ)(おん)を願わなむ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と両三返(りょうさんへん)、念仏唱え、母縁者(えんじゃ)(いとま)告げれば、やがて、時刻となりにけり。青竹(あおだけ)囲いも折れなば折れよ、必死にすがる郎党の、()き来る涙主従の別れ、眼と眼で()居ずまい正せば、前に気高き冨士の山。
「駿河の国の住人、岡邊(おかべ)(ごん)(かみ)(やす)(つな)謹んで介錯仕り候と六代御前に、声を掛け、「えい」と一声(いっせい)太刀(たち)()り下ろす。
(大干)  嗚呼(ああ)情なるかな、如月(きさらぎ)川面(かわも)を渡る風寒し、しじま破りて()()鳴き渡れば、ここに平家の嫡孫(ちゃくそん)永く()ゆ。
(歌出) (いくさ)終わりて十有余年、世の人々は口々(くちぐち)に、平家の嫡子(ちゃくし)に生まれずば、かくなる()き目に逢わずともと、(そで)打ち()らさずは無かりけり。袖打ち濡らさずは()かりけり。