皇国の興廃この一戦にあり―東郷元帥と乃木将軍
明治武人、人問わば、身は、敷島の防人と、なりて命は果つるとも今一時の桜花、などか散るを惜しまんや。
時を移さば、国運いよいよむなし。明治三十七年二月四日、ついに聖断下たり。海より深きおおみこころ、やむにやまれぬ歌一首、
四方の海、みなはらからと思う世に、
などか波風の立ち騒ぐらん
爰に、東郷平八郎連合艦隊司令長官、国の浮沈背水の、陣を敷くや日本海。宣戦布告に、電光石火、仁川沖に砲火を交え、まず陸路の橋頭堡を確保せり。
されど腹背の敵、旅順艦隊、帝国海軍、攻めあぐむ。頼むは陸軍大将、乃木希典、難攻不落の大要塞、東鶏冠山の険よじ難し。一回、二回、第三回、夏、秋、冬の総攻撃、早や厳冬の雪に染む、若き将兵の血しぶきや、戦神も目を背く、敵も味方も入り乱れ、阿鼻叫喚の新戦場。嗚呼、術無きか乃木将軍、焦燥の色覆い難し。
ここに決死の白襷隊、夜陰に乗じ攻め入るも、忽ちの中に銃砲火、雨や霰と降り注げば、襷は紅く染め成せぬ。続いて旭川第七師団、戦友の屍乗り越えて、粉骨砕身戦えば、ようやく二〇三高地陥落す。
眼下一望たり旅順港、鉄血山を覆う爾霊山、その頂きの大空を、二十八サンチ瑠弾砲、唸りを上げて飛び行けば、ここに敵の戦艦、炸裂す。戦終わりて、乃木将軍、金州城外斜陽に立てば、万感迫りて痩けたる頬に、キラリと光る涙かな。
【朗読】 待つ事久し、旅順艦隊全滅の報から年明けて、籠城のロシア軍は、降伏し一月五日、乃木将軍と敵将ステッセルの水師営の会見が行われた。この頃、帝国海軍は、国の興亡を懸けた次なる一大決戦を控えていた。波濤万里の海越えて極東遠征の途についた、バルチック艦隊。だが、未だその姿を現さない。何時来るか、そしてその海路は、参謀秋山真之は、焦る心を押さえつつ、故郷、伊予の村上水軍の古戦法から編み出した「七段構え」の戦術を策定し、敵一艦たりとも討ちもらすまじと、二月から鎮海湾で、猛演習を行っていた。
日月火水木金金、日夜分かたず猛訓練、砲弾轟き、水煙上がり、硝煙雲と成りぬれば、昼なお暗し鎮海湾、日本水兵、意気高し。進む海路は、対馬の沖か、はたまた津軽海峡か、或いは宗谷廻りもと必死の索敵続く中、ついに硝艦、信濃丸、未だ明けやらぬ壱岐の嶋、霧立ち籠める海上に、延々連なる船影を捕捉せり。
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【朗読】 驚くべし、仮装巡洋艦の信濃丸は、濃霧の中、なんとその数三十八隻の、二縦陣の敵艦隊の、真っ直中に入り込んで居たのである。さながら、巨大な流木群に挟まれ浮かぶ、端切れ木だ。だが之は天佑なり。艦長成川大佐は、腹を決めた。一瞬息を整るや、一気に舵を立て直し、第一報の無電を発信する。「敵の艦隊、203地区に見ゆ」、時に二十七日午前四時四十五分、必死に接触を保つ。五分後、続いて打電。「敵航路、東北東。対馬東水道に向かうものの如し」。一旦濃霧で見失う。六時五分再び捉える。「敵進路不動、対馬東水道を指す」と確信打電、哨戒発見の報は、味方の船に直ちに伝わった。あとの追尾は、近くにいた船足のある巡洋艦、和泉にまかせ、信濃丸は、朝霧に船影を包みつつ、奇跡の脱出を図ったのである。
対馬に近き鎮海湾、錨を降ろす旗艦三笠、敵発見の一報に東郷は、、午前四時四十五分、秋山参謀に、打電を命ず。
(素語り)「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は、直ちに出動、之を撃滅せんと欲す。本日天気晴朗なれども浪高し」
翠深き沖の島、東水道に急ぎなば、陽は中天を廻りなん、。東郷長官、身じろぎもせず、水平線を見やりたり。右手には愛用の双眼鏡。腰に吊すは名刀の、宮様に賜りし一文字良房、弓手で柄をしっかと握れば、時は、午後一時三十九分、遂に、敵船影を発見す。威風堂々の敵艦隊、黒煙吐いて迫り来る。
時こそ来たれ、旗艦三笠にZ旗上がれば。将兵粛然と仰ぎ見る。
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
肉を切らせて骨を切る、“取り舵一杯”、敵前回頭。敵将ロジェストウェンスキー、これを見て、我に利ありと、一瞬、頬を緩めたり。敵艦、スワロフ火ぶたを切れば、劈く轟音、波うち騒ぎ、三笠に砲火集中す、船はゆり上げ,ゆり据えて、手負いの獅子に似たるかな。我慢の回頭、十三分、待ちに待ったる砲撃開始、日頃鍛えし技の冴え、連合艦隊、咆哮す。二日昼夜の奮戦に、ここにバルチック艦隊全滅す。
乏しき生計切りつめて、臥薪嘗胆の国民は、戦場に送りし父や子を、日夜案じて、神明に、勝利と無事を祈りたり。やがて、号外の鈴鳴り響き、日本大勝利と高らかに、掛け行く足音嬉しやな。
嗚呼、日本海大海戦、この先人の偉業なくば、日本の栄え今になし、永遠に語らん兵の命の程こそ尊けれ、命の程こそ尊けれ。