2016年8月23日火曜日

高校時代の思い出ー小泉八雲の怪談を読んで


  高校年生の時でした。

小泉八雲(ラフカディオ・ヘルン)の怪談の「耳なし芳一」を初めて読んだ時のことです。びわひきの芳一が、赤間が関の阿弥陀寺に厄介になっていた時でした、和尚が留守をしていたある晩、平家の亡霊の鎧武者に誘い出され、さる高貴な人の館の大広間(実は平家の墓所なのだが)で平家物語の壇ノ浦合戦のくだりを語る場面があります。そのくだりで、芳一の平家琵琶弾奏の描写を八雲は、次のように書いています。(原作は英語)


『・・・そこで、芳一は声を張り上げて、激しい海戦の歌を語った。艪を操る音、船の突き進む音、ひょうとなる矢風の音、軍勢の雄叫びの声、軍馬の踏みにじる響き、甲(かぶと)に打ち当たる刃(やいば)の音、打たれて波に落ち入る音・・・・、一挺の琵琶をもってこれらの物音を巧みに曲弾きするのである。語っている間に芳一の左右からは賞賛の囁きが聞こえた・・・』(訳、平井程一・岩波文庫)

すぐに聴いてみたい衝動に駆られました。そんな曲を弾ける琵琶とは・・・。

もちろん、当時は琵琶のことは、皆目分からず、想像すらつきません。まして九州の田舎こととて聴くすべもありません。

後年、琵琶の道に進んで実際分かったことですが、要は琵琶弾法でどこまで擬音効果音の表現が可能かということでした。ところが平家琵琶に親しみ実際に弾いてみて、少なからず、その期待は裏切られました。八雲が書いた前述の曲引きは、不可能で、実際の弾法は単純なものでした。昔の琵琶法師は擬音効果は一切使っていないことが分かりました。

平家琵琶の楽器は、前から弾いていた薩摩琵琶と比較して、弦の長さも短く、四弦五柱で柱と柱(フレット)の間隔が狭い構造では、擬音効果が出せる中間音の現出には無理があります。また怪談の擬音効果に必要な“ざわざわ感”も音質からいって無理だということが分かりました。その点、薩摩琵琶には、“サワリ”という構造から成り立ち、柱間の糸の張りもゆったりとして、工夫次第で少なからず擬音効果が可能です。その上、倍音効果も楽しめます。

 小泉八雲は、節子夫人に各地の怪談話を収集させ、何回も語らせて自分なりに平家琵琶の構造とは関係なく、想像描写として書いたのかもしれません。あるいは、彼が生きた明治時代は、すでに平曲はかなり廃れており、平家琵琶(平曲)を聞く機会はあまり無かったのかも知れません。

私は、約17年前、ある演劇に携わる方の要請でおそらく、演劇界にとっても、当然私にとっても初めての試みですが、琵琶語りでドラマを進行していく琵琶演劇の脚本「耳なし芳一」を頼まれました。初演は、旧朝日生命ホール(新宿西口)。二人の琵琶奏者が舞台前面の左右両脇に分かれてハの字に座り、舞台を進行させていく形式。この時は、10名ほどの役者さんとの共演でした。琵琶奏者は私(月心)と弟の史水、演出家は、当時大好評を博した丸山明宏の「黒とかげ」の舞台美術監督を務めた人。照明効果も多彩で素晴らしいものでしたが、一番感心したのが、耳に経文を書き忘れた芳一が、亡霊からは姿は見えず、耳だけ見える場面。私はどうして表現するのが不思議でした。亡霊の鎧武者が現れると、場面は一転暗転となり、青白い耳だけがボーっと浮き上がって見えるではありませんか。

なんと仕掛けは耳だけ蛍光塗料を塗っていたのです。本当に感心しました。

昔高校時代に想像していた小泉八雲の前述の壇ノ浦合戦のシーンの擬音描写を、薩摩琵琶を使って、なんとか表現できないかと、平家琵琶ではできない「鎧武者の金属音の擦れる足音、櫓を操る音、風の音、矢の飛ぶ音、合戦時の舟と舟のぶつかる音、それに怪談に不可欠の”ざわざわの感”」等々の擬音効果をいろいろ工夫してみました。琵琶歌は、この時の琵琶演劇脚本を、「独り語り用」に短く編集したものです。

この時の作品が、その後の私の“物語琵琶”(朗読入り)創作活動の原点となったような気がします。今の琵琶歌創作意欲を突き上げているもの、それは当時16歳の青春時代の心に宿った小泉八雲の怪談を詠んだ時のロマンの発露かもしれません。今は懐かしきセピア色の思い出です。