(大干)さても、村評判の働き者で、木樵一途の茂作老、若い巳之吉に荷駄負わせ、川向こうの大山に、いつものように出掛けしが、川の渡しの渡し守、「今日は大雪に変わるやも」と、二人に早じまいを勧めたり。
(地)早、年の瀬も近づけば、茂作と巳の吉、精を出し、つい船頭のこと、打ち忘れ、いつもの時刻となりにけり。
(中干)入り会い山の森の奥、枝葉もしなる積む雪の落ち来る音に驚て、急いで山を下りたり。森を抜ければ薄が原、穂並み分かたぬ銀世界、吹雪の唸り物凄く、船頭の姿すでになし。舟は向こう岸に繋がれたり。
やむなく二人は渡し場の、休み小屋に駆け込みぬ。柴で編みたる壁囲い、破れ板戸の隙間より、雪風、ヒューヒュー忍び入り、戸は、カタカタと鳴り止まず、暖とるすべも無かりけり。
(吟替わり)筵と蓑が夜具替わり、凍てつく寒さしのぎしが、何時しか茂作老人は、昼間の疲れも手伝いて、深い眠りに落ちたりき。しきりに戸を打つ風の音。小屋は木の葉のごとく揺れ、夜気深々と迫り来る。
隣の巳之吉、眠りもやらで、蓑をかぶりて、寒さに堪えしが、いつしか、ふっと微睡みて、夜船の中に漂よいぬ。
(地)時はいか程過ぎにけん、さっと顔打つ雪吹雪、巳の吉、はっと気がついて、風来る方に目をやれば、閉めたる筈の戸が開き、なにやら怪しき人の影。ほのかな明かりに浮かび立つ、長き黒髪ゆらゆら靡き、スーットと立ちたる白無垢の女。切れ長の目は冷え冷えと、髪まとわりつきて、底光り。スルスルと、茂作に近寄るや、寝顔にフーッと息吹きかける。吐きだす息は、一条の白き煙と見紛うたり。
巳之吉、声発せども声ならず、身を動かせどままならず。動くは早手の鼓動のみ。面は血の気引き潮の、冷水背筋に流れたり。
生きた心地もあらばこそ、やおら女は、巳之吉を振り向きざまに近づきぬ。わななと、震える巳之吉に、触れなんばかりの顔と顔。睫に宿りし粉雪の溶けし水玉、巳之吉の頬にポトリと落ちれば、ぴくっと引きつる様を見て、雪より白きその顔に、妖しき笑みがよぎったり。
(朗読語り①)「お前も茂作と同じ目に、合わす積もりであったが、なにやら可哀想に思えてきた。巳の吉や、よくよく見れば、お前はまだ歳端も行かぬ。それに可愛い顔をしている。お前には今日の悪戯は止めにしよう。
だが、よ~く覚えてお置き。今夜のことは、決して人に言ってはならぬ。そなたの身内の母御にもじゃ。いいかえ、破れば、屹度、お前の命を取りに行くぞえ」
女はそう厳しく言い置くや、やがてくるりと背を向けて、雪の中に消えていった。間もなく巳之吉は呪縛を解かれ、はじけるように起き上がり、急ぎ茂作の傍に寄ってみれば、すでに体は氷のようになっていた。
翌朝早く船頭が、息の絶えたる茂作の横で、気を失っていた巳之吉を見つけたのであった。
それからというもの、巳之吉は、長らく病の床に臥し、人にも会わずにいたが、やがて薄皮が剥がれるように、次第に悪夢も薄らいでいった。それから五年の歳月が過ぎた。巳之吉は、凛々しい若者に成長し、一本立ちして。せっせと炭を焼いていた。
(琵琶語り)去るほどに、五年過ぎて冬となり、ある夕方の事なりき。
巳之吉、仕事帰りの道すがら、旅の娘と知り合いて、二人はすっかりうち解けぬ、歩きながらの身の上話。娘は国元で親に死に別れ、親戚尋ねて江戸表、奉公探しの旅とかや。
山あいの村、つるべ落としの陽も落ち行けば、やがて別れの二本松。左を辿れば江戸の道、右にそれれば、巳之吉の家。路傍に佇む石地蔵、別れ難き二人を見つめたり。
(朗読語り②)やがて、巳之吉は、意を決して、「一人の峠越えは物騒だから、今夜は家にお泊まりよ」と熱心に誘った。お雪と名乗るこの娘、やや含羞んでためらっていたが、「それではお言葉に甘えて」と素直にしたがった。
家の明かりで改めて、見れば見るほど縹緻良し、立ち居振る舞いもしとやかで、母もすっかり気に入り、お雪の江戸行きを日一日と引き止めているうち、お雪も、そのまま留まって、やがて巳之吉の嫁となった。
母は近所にお雪のことを、自慢の嫁だと触れ回り、そのうち子供にも恵まれて、いまや巳之吉も三人の子持ちとなった。
(琵琶語り)遠くに聞こえる笛太鼓、今日は、秋の村祭り、巳之吉夫婦も、子供にせがまれ、鎮守の森に出掛けたり。行き交う村人、振り返り、何時も、瑞々しい巳之吉の女房を見て、あれは不思議な女よと、半ばいぶかしみ、噂する。
(朗読語り③)やがて母親は、二人に見取られて、まもなくこの世を去った。それから。二年が過ぎ、年の瀬も迫ったある雪深い晩のことであった。
子ども達はすっかり寝入って、お雪は、針仕事に余念が無く、子供の正月の晴れ着を縫っていた。傍で巳之吉は、囲炉裏の火にあたりながら、行灯の明かりに照らされてボーッと浮かび上がった妻の横顔を何となく眺めていた。
と・・・、ふっとあの渡し場の吹雪の夜のことが思いだされ、ほろ酔い酒も手伝って、つい口がすべった。
「実に夢にも現にもあんなお前に似た美しい女を見たのは後にも先にも初めてだ」
「その話聞かせてくだされ、何処でその方に会われたの」
妻のお雪は針の手を休めずに、さりげなく聞いた。
「いや、あの女は人間ではなかった。おれはその女が怖くてね。でも色は抜けるほど白かった。あの時、夢を見たのか、それとも雪女を見たのか、いまでもハッキリしないのだ」
(琵琶語り・崩れ)無口な巳之吉、訥々と、語り始めるそのうちに、封印話は堰を切る。女の吐く息で茂作爺、そのまま冷たき骸となりしこと、一部始終つぶさに語れば、妻は畳に目を落とす。やがて静かに縫う手を休め、次第、次第に愁いの色が広がりぬ。
こはいかに、いつもと違う妻を見て、巳之吉、急に押し黙る。板戸の隙間よりこぼれくる一陣の風、行灯の明かりゆらゆらと、消えなん風情のその刹那、お雪は、大きく肩をうち振るわせて、いきなり針仕事を投げ出すや。柳眉逆立ち、黒髪乱れ、夫、巳之吉を、はったと見据え、鋭い叫びを発したり。(崩れの手)
(朗読語り④)「それはわたしじゃ、このわたしが、お雪じゃ。あの時、一言でも喋ったら、必ず命を取ると言い置いたに・・・。覚悟おし!。
・・・・嗚呼、じゃが、出来ぬ・・・。口惜しや・・・私には出来ぬ。 子ども等のことを思えば・・・不憫でならぬ・・・・せめて、正月にはこの晴れ着を、着せてくだされ。この子等を頼みまするぞ。
もしも嘆きを見せることあれば、報いはきっとこの私が取りますぞえ」
(琵琶語り)押し殺したる悲痛の叫び、しばし子供の寝顔をかわるがわるふし眺め、未練の眼投げ置きて、苦悶の色を浮かべつつ、そのまま体は、空を飛び、姿は白く霧となり、梢のかなたに消えゆきぬ。
後悔先に立たずとや、巳之吉、ただただ、口を開け、夢か現か茫然と虚空の中を見つめたり。虚空の中を見つめたり。(了)