2014年8月27日水曜日

雪女 (小泉八雲 怪談より)   薩摩琵琶   古澤月心作



(謡出し)とある山里(やまざと)武蔵野の、山谷々(やまたにだに)にも冬が来て、木枯らし吹くや初氷。(やま)栗鼠(りす)落ち葉をかき分けて、()()取り込み冬支度(ふゆじたく)大山(おおやま)山麓(さんろく)縫うように流れる川は大川や、粉雪(こなゆき)舞い散る山あい、炭焼く(けむり)立ち(のぼ)る。


(大干)さても、村評判の働き者で、()(きこり)一途(いちず)茂作(もさく)老、若い巳之(みの)(きち)荷駄(にだ)負わせ、川向こうの大山に、いつものように出掛けしが、川の(わた)しの(わた)(もり)、「今日は大雪(おおゆき)に変わるやも」と、二人に(はや)じまいを(すす)めたり。

(地(はや)、年の瀬も近づけば、茂作と巳の吉、精を出し、つい船頭(せんどう)のこと、打ち忘れ、いつもの時刻となりにけり。

(中干)()()い山の森の奥、枝葉もしなる積む雪の落ち来る(おと)(おどろき)急いで山を(くだ)りたり。森を抜ければ(すすき)が原穂並(ほな)()かたぬ銀世界(ぎんせかい)吹雪(ふぶき)(うな)物凄(ものすご)く、船頭(せんどう)の姿すでにし。舟は向こう岸に(つな)がれたり

やむなく二人は渡し場の、休み小屋に駆け込みぬ。(しば)で編みたる壁囲い、破れ板戸(いたど)隙間(すきま)より、雪風(ゆきかぜ)、ヒューヒュー忍び入り、戸は、カタカタと鳴り止まず、(だん)とるすべも無かりけり。

(吟替わり(むしろ)(みの)夜具(やぐ)()わり()てつく寒さしのぎしが、何時(いつ)しか茂作(もさく)老人(ろうじん)は、昼間の疲れも手伝(てつだ)いて、深い眠りに落ちたりき。しきりに戸を打つ風の音。小屋は()の葉のごとく揺れ、夜気(やき)深々(しんしん)と迫り()

隣の巳之吉、眠りもやらで、蓑をかぶりて、寒さに堪えしが、いつしか、ふっと微睡(まどろ)みて夜船(よぶね)の中に(ただよ)よいぬ。

(地)時はいか程過ぎにけん、さっと顔打つ(ゆき)吹雪(ふぶき)、巳の吉はっと気がつい来る(くる)(かた)に目をやれば()めたる(はず)の戸が(ひら)なにやら(あや)しきほのかな明かりに浮かび立つ長き黒髪(くろかみ)ゆらゆら(なび)スーットと立ちたる白無垢(しろむく)(おんな)切れ(なが)の目は冷え()冷え()と、髪まとわりつきて、底光(そこびか)り。スルと、茂作近寄るや寝顔にフーッと息吹きかける。()きだす息は、一条(いちじょう)白き(けぶり)見紛(みまご)たり

巳之吉、(こえ)(はっ)せどもならず身を動かせどままならず動くは早手の鼓動(こどう)のみ。(おもて)血の()(しお)冷水(れいすい)背筋(せすじ)に流れたり

生きた心地もあらばこそ、やおら女は、巳之吉を振り向きざまに近づきぬ。わななと、(ふる)る巳之吉()れなんばかりと顔(まつげ)に宿りし粉雪(こなゆき)の溶け水玉(みずたま)巳之吉の(ほお)ポトリと落ちればぴくっと引きつる(さま)見て、(ゆき)より白きその顔に、(あや)しき()みがよぎったり

(朗読語り①)お前も茂作と同じ目に、合わす積もりであったが、なにやら可哀想に思えてきた。巳の吉や、よくよく見れば、お前はまだ歳端(としは)も行かぬ。それに可愛(かわい)顔をしているお前今日の悪戯(いたずら)止めにしよ

だが、よ~く覚えてお()き。今夜のことは決して人に言ってはならぬそなたの身内母御(ははご)にもじゃ。いいかえ、破れば屹度(きっと)お前の命を取りに行くえ」

女はそう厳しく言い置くや、やがてくるりと背を向けて、雪の中に消えていった。間もなく巳之吉は呪縛(じゅばく)()かれ、はじけるように起き上がり、急ぎ茂作の傍に寄ってみれば、すでに(からだ)氷のようになっていた

翌朝早く船頭が、息の絶えたる茂作の横で、気を(うしな)っていた吉を()つけたのであった

それからというもの、巳之吉は、長らく(やまい)の床に臥し、人にもわずいたがやがて薄皮(うすかわ)がれるように次第悪夢(あくむ)(うす)いでいったそれから五年の歳月が過ぎた。巳之吉は、()々しい若者に成長し、一本立ちして。せっせと炭を焼いていた。

(琵琶語り)去るほどに、(いつ)(とせ)過ぎて冬となり、ある夕方(ゆうがた)の事なりき。

巳之吉、仕事帰りの道すがら、(たび)の娘と知り合いて、二人はすっかりうち解け歩きながらの身の上話。娘は国元(くにもと)親に死に別れ、親戚(しんせき)(たず)ねて江戸表(えどおもて)奉公(ほうこう)探しの旅とかや

山あいの村、つるべ落としの()も落ち行けばやがて別れの二本松(にほんまつ)左を辿れば江戸の道、右にそれれば、巳之吉の家。路傍(ろぼう)(たたず)(いし)地蔵(じぞう)別れ難き二人(ふたり)を見つめたり

(朗読語り②)やがて、巳之吉は、意を決して、「一人の峠越えは物騒(ぶっそう)だから今夜は(うち)にお泊まりよと熱心に誘った。お雪と名乗るこの娘、やや含羞(はにか)んでためらっていたが、「それではお言葉に甘えて」と素直にしたがった。

家の明かりで改めて、見れば見るほど縹緻(きりょう)良し、立ち居振(いふ)()いもしとやかですっかり気に入り、お雪の江戸行きを日一日引きめているうち、お雪そのまま(とど)まってやがて巳之吉嫁となった。

母は近所にお雪のことを、自慢(じまん)の嫁だと触れ回り、そのうち子供恵まれて、いまや巳之吉も三人の子持ちとなった

(琵琶語り)遠くに聞こえる笛太鼓、今日は、秋の村祭り、巳之吉夫婦も、子供にせがまれ、鎮守の森に出掛けたり。行き交う村人、振り返り、何時(いつ)も、瑞々(みずみず)しい巳之吉の女房を見て、あれは不思議な女半ばいぶかしみ、(うわさ)する

(朗読語り③)やがて母親は、二人に見取(みと)られて、まもなくこの世を去った。それから。二年(ふたとせ)が過ぎ、年の瀬も迫ったある雪深い晩のことであった。

子ども達はすっかり寝入(ねい)って、お雪は、針仕事に余念が無子供の正月の晴れ着を縫っていた。(そば)巳之吉囲炉裏(いろり)の火にあたりながら、行灯(あんどん)明かりに()らされてボーッと浮かび上がった何となく(なが)めていた。

と・・・、ふっとあの渡し場の吹雪の(よる)のこと思いだされほろ酔い酒も手伝ってつい口がすべった

「実に夢にも(うつつ)にもあんなお前に似た美しい女を見たのは(あと)にも先にも(はじ)めてだ」

「その(はなし)聞かせてくだされ何処(どこ)でその方に会われたの」

妻のお雪は(はり)の手を休めずに、さりげなく聞いた。

「いや、あの女は人間ではなかった。おれはその女が(こわ)くてね。でも色は()けるほど白かった。あの時夢を見たのか、それとも雪女(ゆきおんな)を見たのかいまでもハッキリしないのだ」

(琵琶語り・崩れ)無口(むくち)な巳之吉、訥々(とつとつ)り始めるそのうちに、封印話(ふういんばなし)(せき)を切る女の()茂作爺(もさくじい)そのまま冷たき(むくろ)となりしこ一部始終つぶさに妻は(たたみ)目を落とす。やがて静かに()を休め次第次第に(うれ)の色広がりぬ。

こはいかに、いつもと違う妻を見て、巳之吉、急に押し(だま)板戸(いたど)隙間(すきま)よりこぼれくる一陣の風行灯(あんどん)明かりゆらゆらと、消えなん風情(ふぜい)その刹那(せつな)お雪は、大きくうち振るわせて、いきなり針仕事(はりしごと)を投げ出すや。柳眉(りゅうび)逆立(さかだ)黒髪(くろかみ)乱れ巳之吉はったと見据え(するど)い叫びを発したり(崩れの手)

(朗読語り④)それはわたしじゃ、このわたしが、お(ゆき)じゃあの時、一言でも(しゃべ)ったら、必ず(いのち)を取ると言い()いた・・・覚悟おし

・・・・嗚呼(ああ)じゃが出来ぬ・・・口惜しや・・には出来ぬ。 子ども等のことを思えば・・・不憫でならぬ・・・・せめて、正月にはこの晴れ着を、着せてくだされ。この子等を頼みまするぞ。

もしも(なげ)きを見せることあば、(むく)いはきっとこの取ります 

(琵琶語り)押し殺したる悲痛(ひつう)叫び、しばし子供の寝顔をかわるがわるふし(なが)め、未練(みれん)(まなこ)投げ苦悶(くもん)の色を浮かべつつ、そのまま(たい)は、(くう)姿は白く(きり)なり(こずえ)かなた消えゆきぬ。

後悔先に立たずとや、巳之吉、ただただ、口を()夢か(うつつ)か茫然と虚空(こくう)の中を見つめたり。虚空の中を見つめたり。(了)