2014年8月28日木曜日

憂国の寅 吉田松陰 (薩摩琵琶)  古澤月心作


身はたとえ武蔵野の野辺に朽ちるとも
とどめおかまし大和魂 (松陰)      

謡出) 松下(しょうか)村塾(そんじゅく)一握(いちあく)の砂、されど塾生に投げかけし、熱砂(ねっさ)諸方(しょほう)に飛び行きて(あおい)を揺るがす勢いの大砂塵とぞなりにける。

(大干) 時しも安政五年卯月(うづき)(すえ)つ方、彦根の城主、井伊(いい)(なお)(すけ)は、大老職におさまるや、幕政のたがを引き締めたり。老中間部(まなべ)(あき)(かつ)は、大老井伊の命を受け急ぎ秋口(あきぐち)に上洛し、梅田(うめだ)(うん)(ぴん)橋本(はしもと)左内(さない)、主なる浪士矢継(やつ)()や、(まんじ)ともえと召し()りて、弾圧峻厳(しゅんげん)を極めたり。(まさ)安政の大獄(たいごく)吹き荒れぬ。

(中干) ()は一大事必ずや松陰先生にも(とが)及ぶべし。()塾生の面々(めんめん)は、日夜、(にちや)監視を強めしが、幕府を(はばか)(はぎ)(はん)野山獄(のやまごく)に押し込めて徳川の(いき)(うかが)うもついに幕命(くだ)りたり。

  (素声) 吉田(よしだ)(とら)次郎(じろう)詮議(せんぎ)(おもむき)これあり。急ぎ江戸藩邸に出頭(しゅっとう)させよ」 

() 明日はいよいよ江戸送り、(中干変調)(ささ)打つ音、野山(のやま)(ごく)(下)獄舎を預かる福川犀之(さいの)(すけ)せめて一夜(ひとよ)名残(なごり)をと夜半(ひそ)に牢より出し杉家(すぎけ)(かご)(いそ)せぬ 

(吟変) 心づくしの風呂を()き、我が子を待つや母お(たき)、背中を流し、ただぽつり、必ず生きて帰れかし、短慮(たんりょ)はならぬ(さとし)しなば、子供に返りし寅之(とらの)(すけ)、落つる涙を(とど)めえず。(せきひん)薫陶(くんとう)、父百合之(ゆりの)(すけ)鉄拳(てっけん)の学習、叔父文之(ぶんの)(しん)畠で兄と高らかに父に続いて四書(ししょ)五経(ごきょう)、過ぎし思い出()きざるも、やがて明け()つ、別離の刻限(こくげん)目頭押さえる妹にすぐに帰る慰めれば梅雨(つゆ)雨脚(あまあし)また(しげ)く、軍鶏(とうまる)(かご)の身となりぬ。 

満天(まんてん)梅雨(ばいう)()(じょう)(あかつき)   千里(せんり)単身(たんしん)(かん)()(あが)る (松陰作) 

 () 古里(ふるさと)萩を後にして南へ下れば()田尻(たじり)街道(かいどう)見えつ、隠れつ門下生
やがて大谷畷(おおたになわて)のはずれ、観音(かんのん)(きょう)の橋たもと、一本の老松(ろうしょう)()立ちて、人呼び別れの涙松
(変調)(あお)細引(ほそび)(あみ)(かご)(ごし)に、(下)煙雨(えんう)(けぶ)る萩の(かた)しばし望みて目を閉じぬ。

帰らじと、思い定めし旅なれば、
ひとしお濡れる涙松かな (松陰作)
 思い起こせば、佐久間象山、師となして、同志、宮部(みやべ)鼎蔵(ていぞう)と、(きょう)になろうと誓いたり。 
(崩れ) 我れ、(えびす)(はら)気概あり。虎穴(こけつ)()りて、虎児(こじ)()る。憂国(ゆうこく)いや迸る
(中干)()りしもあれや、下田の沖に、黒船(くろふね) 再び来航す。今こそ決行の時(きた)る。

(大干)時は()(えい)弥生(やよい)(すえ)(やみ)(まぎ)れて下田(しもだ)沖合い目指(めざ)舟一艘(ふねいっそう)(崩れ1弾き) 
(中干)(とも)金子重之(かねこじゅうの)(すけ)()(はな)ちたる着物の(おび)(はず)れし(かい)()わいつければ、
(崩れ2) 沖風(おきかぜ)いよいよ吹きつのり波は(うな)逆巻き飛沫(しぶき)上がり揺動(ようどう)
(崩れ3) 千秋(せんしゅう)万里(ばんり)()()けば、ようやく黒船(くろふね)見えたりき。(崩れ4) 

(中干) 血豆(ちまめ)(つぶ)れし鮮血(せんけつ)の両手の(こぶし)突き上げて、天地神明、八幡(はちまん)菩薩(ぼさつ)もご照覧(しょうらん)あれ至誠(まこと)の心(ただ)一筋(ひとすじ)東航(めりけんゆき)請い願えども時に利あらず(変調) (いら)つれなき返り嗚呼(ああ)()()なき身の(ささ)小舟(こぶね)、時の流れに(ただよ)いぬ。 

() 早や重之助今は亡く、我は吟味(ぎんみ)伝馬(てんま)(ろう)(中干)されど我が(こころざし)、堅固なり。
後事(あと)は同志に託しなん。

時に安政六年神無月(かんなづき)(下)三十路(みそじ)春秋(しゅんじゅう)一期(いちご)とし、今従容(しょうよう)と刑につく。     

 親思う心にまさる親心、
今日のおとずれ何と聞くらん()(松陰辞世歌) 


(あとがき) 吉田家の家紋は「クワのうち卍(まんじ)」、西の方では、クワは瓜のこと、例、美濃のまくわうり。密航の時、松蔭先生は、周囲の人に迷惑を掛けぬよう配慮し、瓜中万二(くわのうちまんじ)と名乗った。琵琶歌中の漢詩は、野山獄中で江戸行を知らされ、犀之助にお礼に、急ぎしたためたものだが、時間がなく後半部分は、あとで作って江戸から送ると言って獄をでた。未完と聞く。江戸行きがいかに慌ただしかったかが忍ばれてならない。ちなみに奇しくも我が家の家紋も「まるに左卍」である。出来得るならば、松蔭先生心残りの未完の漢詩(転結部分)を完結したしと願うは、我れ愚者の浅慮なるや。           t                                      (月心)