五弦では世界に残っているただ一つのもの。はたして何処で創られ誰がどのようにして、弾いたのでしょうか。かねてから一度この遙かな楽の音を聞いてみたいという願望がありました。
ところが、画面は少なからずこの私の願いを充足させてくれたのです。当時の東京芸術大学の講師、芝祐靖氏が中心となり、昔の修理の時古いテープに収めた少ない絃音を発見し、現代のエレトニクスの力を借り、音階だてにしてこの幻の音色を復元しました。静かな旋律のなかにも天平の華やぎが伝わって来ました。
ところが、画面は少なからずこの私の願いを充足させてくれたのです。当時の東京芸術大学の講師、芝祐靖氏が中心となり、昔の修理の時古いテープに収めた少ない絃音を発見し、現代のエレトニクスの力を借り、音階だてにしてこの幻の音色を復元しました。静かな旋律のなかにも天平の華やぎが伝わって来ました。
この正倉院の遺品は五弦五柱で直頸(ちょっけい)です。我が国で作られたかどうかは分かりません。多分唐でつくられたものが、伝来し、大仏開眼法会に使用されたものかかもしれません。松本清張は、その著「正倉院への道(日本放送出版協会)」で「あれは早くから貴族が持っていて大仏開眼法会のお祝いに天皇家に献上されたものでしょう」と書いています。この五弦琵琶の実態は今日(こんにち)さだかとは言えませんが、ある程度の推察は可能です。
この楽器は元々インドから西域の亀滋国(きじこく・今のクッチャ)にシルクロードを経て、伝わり、琵琶として盛んに使われ亀滋楽として唐の都長安でも、もてはやされ、合奏用として使われています。唐の李寿墓の壁画に合奏の図があるが、手前に笙、その次ぎにこの直頸の五弦琵琶、その次ぎに四弦琵琶があり、他に箜、篌(くご・ハープ)と琴があります。
この楽器は正倉院にも全部揃っていますが、おそらく、この合奏形式は日本にも伝えられ、天平勝宝四年(752)、大仏開眼法会で奏されて、その後はあまり使用されなかったのではないでしょうか。
ただ、2008年9月27日の読売夕刊に、注目すべき新聞記事がありました。それによると、琵琶の螺鈿細工に琵琶の背面にはめ込まれた二、三センチの貝殻数枚に摩擦痕があり、実際に弦を押さえて引き込まれた可能性が強いというのです。五弦琵琶は、合奏だけでなく、独奏用としてもかなり使用されたのかもしれませんね。
いずれにしても、この五弦琵琶は、天平文化の象徴として今も螺鈿細工の輝きが、モナリザの謎の微笑にも似て、しとやかに限りないロマンを奏でてくれています。