2014年11月24日月曜日

琵琶の歴史7:第二話 琵琶東伝①~日出ずる国へ


  シルクロードからの文化使節 

 

東大寺正倉院に遺されている五弦紫檀の螺鈿琵琶。オリエントとの香りを秘めて、衣の袖も軽やかに弾ずる遙けき天平人。青によし寧楽(なら)の都に響き渡る楽の音はいかがばかりか。都大路の木々の繁みより微かに洩れ来る琵琶の音、今様の越天楽にも似たゆったりとした典雅な調べ。 

天平勝宝四年、大和朝廷が一大国家行事として行った東大寺の大仏開眼法会(だいぶつかいげんほうえ)に澄み渡る荘厳な合奏。笙、笛、と溶け合った琵琶の幽玄の旋律、めくるめく想いで想像の糸を掻き鳴らす時、そこには汲めども尽きぬ天平ロマンの泉が湧き出るのです。 

琵琶の起源は遠くササン朝ペルシャにあるとされています。もともと、楽器は宗教と不可分の関係にありますが、琵琶も例外ではありません。むしろその音色から言って神への賛歌、生活への祈りをより一層効果あらしめる祭具として重用されたものです。後述の盲僧琵琶で詳しく述べます。

琵琶の伝播経路はとりもなおさず宗教の伝来と大きな関係がります。この小稿をまとめるにあたり、往時の世界地図を拡げてみました。

琵琶は古代ペルシャやエジプトよりインドを南下し胡国を経てシルクロードを通り、中国に伝わり、日本を終着駅として舶来しました。

琵琶の先祖は、あるいはササン朝ペルシャかもしれません。それが、その国々の人々の生活風俗に溶け込み、喜びと悲しみを分かち合いながら形、音色を変え、異国の血を少しづつ混入しつつ東に向かいました。 

 

砂漠の笹舟


まさに琵琶は二千年の時の流れの中に身をまかせ、砂漠に浮かべた笹舟といえます。中央アジアからサマルカンドを経て、パミールの峻嶮を越え来れば、諸人すべてを呑み込まんと、ぽっかり口を開けて待つ灼熱の死のタクラマカン砂漠。避けるように砂漠を挟んで点在するオアシス小国家、そこで根付き、クッチャ、トルファンなどで、民族音楽を花と咲かせ、シルクロードを経て陽気なオリエント民族の心を伝えながら、古代中国に伝ったのです。

 中には、戦いの攻防に明け暮れた都市国家(例えば西夏国)の運命とともに沙中に埋もれて、昔日のかなたに忘れ去られていった琵琶の調べもあったかもしれません。わずかに奇跡的に残る敦煌の琵琶譜のような・・・。

幾多の変容と各地の面影を残しながらその一部が、大唐に辿り着きました。そしてまたその中のごく一部が東海の果て、日本に流れ着き、我が国の風土や感性に溶け合いながら、幾多の歳月を経て、わが国独特の琵琶伝承文化を創り上げ、今日の近代琵琶へと受け継がれているのです。

まさに琵琶は、アジア民族を繋ぐシルクロードのいにしえの文化使節といっても過言ではありません

 

シルクロードの終着駅


本稿「琵琶東伝」を進めるにあたり、盲僧琵琶楽器の別名、笹琵琶にちなみ、まずはようやくアジアの東岸に漂着したこの笹舟を、今から二千年の大河の彼方に解き放ち、時を遡(さかのぼ)らせて、歴史を辿るのも一興かと思います。(「短編小説 流砂の琵琶」で試みて見たいー投稿予定)

シルクロードの終着駅ともいわれる正倉院に、四弦が二面、五弦が一面それに秦琵琶と言われる三種の琵琶が現存しています。この奈良朝の琵琶は、中国唐代の琵琶をそのまま輸入したもので、おそらく唐の玄宗皇朝、あるいはそれ以前に中国で作られた物であろうと故岸辺成雄氏は述べられています。

ここはしばらく、琵琶の起源とその流れを、同氏の研究から拾ってみることにしましょう。三種類の琵琶のうち、まず四弦琵琶は、棹の部分が、曲頸(曲頂)になっています。琵琶の柄の上端部分の軫(いとまき)を受け入れる部分が直角に曲がっています。日本の雅楽に使用されている楽琵琶と同じです。 

唐式五弦琵琶として世界中にただ一つ現存している五弦琵琶と阮咸(げんかん)は、先端が曲頸でなく直頸になっています。阮咸も正倉院だけに現存している四弦十四柱の琵琶です。円形の胴部分からは長い棹が伸びています。その名の由来は、琵琶の名手であった竹林の七賢の一人、阮咸の発明ともいわれ、そう呼ばれています。
 

辺境でしのぶ馬上の琵琶

 
 ここで、古来、日本人の心をとらへて止まない唐の詩人王翰(おうかん)の涼州詞を味わってみましょう。 

    葡萄(ぶどう)の美酒、夜光の杯(はい)
    飲まんと欲すれば、 琵琶馬上に催す
    酔うて沙場に臥す、 君笑う莫(なか)れ
    古来征戦 幾人か回(かえ)る  


 葡萄の美酒を夜光の玉杯に並々注いで飲もうとすれば、さてもよし、胡人が馬上で琵琶を弾き始めた。私は、興に乗して大酔し、そのまま流沙の沙漠に倒れ伏してしまった。君よ、この無作法を笑い給うな。昔から異域に征戦に来たものは数限りないが、果たして、無事に生還した者が幾人あったろうか――― 

 遠い辺境の地、戦い終わり、日は暮れて・・・・故郷に残してきた妻子は今どうしていようか、働き手を失い、困ってはいないだろうか。近くの河原で慈母の打つ砧(きぬた)の音が今も遠鳴りのように耳に残る。

 流沙の沙漠と馬上の琵琶!この組合せの詩情性が、防人の玉関の情をいやが上にもつのらせ、詠む人の情感をかきたてずには置かないのです。


 この西域では、学術的にも四弦琵琶、ギター型琵琶、阮咸琵琶、および五弦琵琶の四種があったと考えられます。おそらく、胡人が馬上にて奏した楽器となると阮咸琵琶であったかもしれません。それとも五弦琵琶?考えるだけでも興趣は尽きません。琵琶は単にシルクロードの交易の旅のつれづれの慰みの音楽だけでなく、異国の戦場で、しばし心を癒やさせ、仲間との心の交流をはたしているのです。 (続く)