2014年11月23日日曜日

琵琶の歴史8:第二話 琵琶東伝②~大陸のルートと盲僧琵琶誕生のロマン


琵琶の伝播ルート

 元来、琵琶の起源は、古代ペルシャにあると言われますが、伝来の仕方に二つのルートが考えられます。第一のルートは、紀元二世紀の中頃に西域を通って漢の時代に中国に伝わった漢琵琶と言われるものです。奏者は、絃を水平に保ち、静かに撥を掻き鳴らす。雅楽の管弦合奏として使用され、「楽琵琶」とも称されるもの。胴の表面にペルシャの国のマークである三日月形の響孔が二個設けてあり、楽器の上端は直角に折れ曲がっています。



第二のルートは、起源後二世紀の頃、ペルシャから伝来した琵琶(バルバット)が、インド古来の「ヴィーナ」と呼ぶ絃楽器と一体融合化して、インド琵琶が出来、伝わったもの。形は、楽琵琶に比較し小さく胴は細長い。四弦五柱琵琶であり、胴をたて、やや小型の撥で奏でます。後の第二話の盲僧の伝承で詳述するが、インド琵琶は盲僧によって中国を経て、奈良朝に伝来し、盲僧琵琶となりました。(但し伝来時期については学者間で異論もある)。全体が竹の葉に似ているので笹琵琶とも呼ばれています。江戸時代まで広く筑前盲僧の間で用いられました。


現在、我々が近代琵琶として使用している琵琶は、形は第一ルートの曲頸ですが、弾奏の仕方は、この第二ルートで伝来した方法で行っています。また現在の中国で使用されている琵琶は、七世紀頃インドを経て更に中央アジアの亀滋国(KUCHA)を経て来たものです。細い棒状のフレットを十個あまり付けて見た感じが、昔懐かしい洗濯板を髣髴とさせます。


以上が日本に渡来するまでの琵琶の変遷ですが、ここで琵琶の名の由来について触れておきましょう。

琵琶名由来


琵琶が西アジアに起こり、西域を経て漢時代に中国に伝来したことは前に述べましたが、琵琶のルーツはササン朝ペルシャのリュートかもしれません。


このリュートは、六、七世紀に「バルバット」と言われました。これが中国の琵琶の語源という説があります。インドでは「ヴィーナ」と言い、中国でも琵琶は外来語と言われた。「枇杷」が琴を表す王王に「比巴」を組合せたもののようです。

ちなみに、「琵琶湖」の由来は、形が琵琶に似ているので呼ばれるようになりました。もともとは、「淡海(おうみ)」と呼ばれ、和歌にも詠みこまれています。


ところで中国まで到達した”枇杷”が、オリエントの終着地、日本へ伝来した様子はどんなものっだったのでしょうか。琵琶がシルクロードを経て中国へ伝わったのは、紀元二世紀の前漢の時代ですが、その頃の日本というとまだ文字とて無く弥生式土器を作りようやく集落形成の中で道具も石製から鉄製工具と変わり、水稲栽培が拡がっていったころです。我々の先祖、大和人が琵琶楽器に接するのは、これからまだ七百年の歳月を待たなければなりません。


琵琶の伝来は、仏教と共にあったと考えるのが自然である。仏教が初めて日本に伝わったのが六世紀半ばと言われているので琵琶の伝来も中国と行き来が始まった以降であることは当然のことだ。案外と、当時つき合いのあった朝鮮半島の百済、高句麗から仏像や経論などと一緒に入ってきたと考えるのは大胆すぎるでしょうか。もっともその頃、盲僧琵琶が、朝鮮半島に伝わっていたという史証はありませんが・・・。


盲僧琵琶と楽琵琶は、どちらが早く日本に入ってきたかは、学者の中でも争いのあるところです。

琵琶伝承 のロマン


 ここでは、伝説として一、二紹介しておきましょう。
中島常楽院所蔵の資料などによれば、先ずインドにまつわる伝説を越山正三氏の「薩摩琵琶」より、そのまま引用させていただきます。


「釈迦の弟子に岩窟尊者と云う盲僧がいました。釈迦は、殊の外哀れと思われて『眼は見えなくとも心の眼を開くようにせよ。心眼さえ開けば、目明きの人よりいくらでも幸福になれる』と諭された。岩窟尊者は、苦行を積んで悟りを開くことが出来ました。そこで釈迦は尊者に地神経と土荒神の法fを授けられました。丁度そこへ妙音弁財天が十五人の童子を引き連れて姿を見せ、琵琶を奏でて、その秘法を伝えました。


その頃、中天竺の阿育天王の王子倶奈羅太子が突然盲目となって岩窟尊者の弟子となり、倶奈羅王子は唐の盲人七鬼太子、阿庚太子へと伝えました。こうしてやがて盲僧によって日本へ伝えられることになった」


また、薩摩国河辺郡山田大徳院の由緒などの記録によれば、

 

「およそ今から千四百年前の欽明天皇の御代、中国から来朝した盲僧が当時、日向の鵜戸の付近で岩屋に住まいしていた遊教霊師に地神陀羅尼経と土荒神の法を伝え、合わせて、祭具としての琵琶を伝えた。この後遊教霊師は、朝夕琵琶の妙音を伝え、四海、平穏を祈り、地神陀羅尼経を読んでいた。その後、これをつて聞いた九州一円の盲人たちは、霊師のもとに集まり伝授を受けた。霊師の没後、弟子達が薩摩や日向、大隅の寺々を中心に盛んに琵琶を弾じた」

このように盲僧琵琶は九州南部を中心として次第にその輪を拡げ行き、日本の琵琶の黎明はこのようにして始まったと・・・。

 始まりはどうあれ(あるいは17世紀あたりとも)、昔は私の田舎をはじめ九州南部地域にはいたるところ盲僧寺が点在していました(今もその跡地に残影あり)。

 芸能的要素も兼ね備えた宗教楽器と風習が、時の明治維新政府による廃仏毀釈や神仏分離令で、あおりを受け、長年培われた神仏習合の慣習も捨て去られました。

 地方伝承文化の一つが徐々に廃れ、盲僧寺の琵琶の音も次第にか細くなり、法灯が、一つまた一つと消えていったことは誠に残念なことと言わざるを得ません。  (第二話完)