2014年10月24日金曜日

蛙の独り言①


  おいらは、蛙だ。ゲロゲロ、東京杉並の和田堀公園の池に棲みついている土蛙なんだ。時々糞蛙などとありがたくない呼ばれ方もして迷惑している。でも、悔しいけれど容姿では、緑の葉っぱの甘露のしずくで暇さえあれば、体を磨き上げている殿様蛙には叶わないやね。

でもさ、おいら達は、大地にしっかり足を張りつけて生きていることに誇りを持っているんだ。いつも地震のように不安定な揺れている葉っぱの上の生活なんてまっぴら願い下げだよ。

 おいら達は、田んぼや、沼地で慎ましやかに生きているのに、どうして人間たちは、いろいろ勝手に自分の都合で可愛いからといっては海外の生き物を持ちこんだり、厭きたといっては、ぽいと捨てたりするのかなあ。

この前、この池でも一匹、外来種とおぼしき魚が、ゆうゆうとおいらの前を泳いでいったよ。にらみつけてやったが、生まれて間もない小鮒など隅でびくびくして縮こまっていたっけ。こういうの、ほんとの人災と言うんだよね。

快適さを求めて、楽しようと、その揚げ句が地球規模の温暖化だもんね。

水越しに人間界を見ると、まるで地球の資源を掘り尽くし、樹をなで切り倒し、草木を食べ尽くそうと我が物顔に闊歩している肥大モンスターの集まりだよ。

海水の温度がドンドン上がって、南の島は水没の危機に瀕しているんだって?

「チョット待て、井の中の蛙が大海を知るはずが無い!」
 

 冗談言っては困るよ。大体、井戸に蛙が棲めるはずはないんだ。おいらの仲間が井戸の中にいるとすれば、それはあわてて飛び込んだあわれな奴だ。賢明な同胞ならそんなことをする筈がない。ミズスマシ君あたりならお似合いだけれどね。

水が溜まっているだけの井戸では我々は生きられないさ。陸地が絶対必要なんだ。水陸両棲動物であることを忘れてもらっては困るよ。

人間は陸地でしか生きられない。その大切な陸地を自分で壊そうとしているから、見通しの甘い生き物だと思うよ。

ある日、おいらがとっておきの池の縁の草場の蔭で休んでいると、ほぼ古稀をすぎた白髪の老人が不意に闖入してきたんだ。ちょっと風采の上がらない顔をしている。ここは緑で囲まれ、普通は、人は入っては行けない処なんだ。腰掛けるに程よい高さの小さなコンクリートの工作物があるんだが、そこに腰掛けるや、池の中島を見て何かじっと物思いにふけっていたが、急に僕に気がつくと、親しげに眺めて、やおら話しかけてきたんだ。


「君、チョット出て来ないか。私がいるから、カラスは大丈夫だよ。この先の荻窪というところに井伏鱒二という作家が昔いたんだが、私は彼の書いた『山椒魚』が好きなんだ。生涯で一度だけでも、あんな作品を書けたらと思っているんだが、君ではその代役は無理かあ・・・・」だと。

失礼千万だ!あんな不細工な“どたま”と一緒にされては・・と少し不快を覚えたが、でもこの老人、そう悪さもしなさそうなので気分直して近づいてやったよ。

 それから時折、散歩に来ては、いろいろ話しかけてくれる。お陰でおいらも最近、物知りになった。

聞けば、彼は気が向けば売れない本を書いているらしい。田舎の田んぼの中で育ち、蛙とはよく遊んだとかで、ペンーネームにも蛙を一字入れ込んでいるという。田蛙声(でんあせい)とかいったっけ。これを聞いたあとは、彼の風采のあがらないところもまた好人物に見えてくるから不思議だ。それから、”でんさん”と呼んでんだ。

そうそう、最近でんさんが語ってくれた話では、今、日本は、お隣の国と何やら島のことで、ぎくしゃくしているんだって。昔は「戦略的互恵関係」とか言う付き合いだったが、今は「確信的利益」が取れないからいやだとか、なんとか・・・。難しくて奥歯に物がはさまったような言葉を聞いたが、よく分からなかった。

あ、失敬、断っとくがおいら食べるのも、聞くのも、何でも丸呑み。歯は持ち合わせていないから、物がはさまるような不便さはないやね。

ずっとその前は両国は「一衣帯水の距離」とか言った偉い人がいたそうだが、隣国同士、いろいろ言い分はあるだろうが、最初から角突き合わさずに、まずは、おいら達みたいにまるくのみこんで仲良くできる知恵はないのかね。

でんさんの受け売りだが、日本の文化は、漢字を始め、あらゆる分野でいろいろ昔の中国の優れたものを取り入れて、日本人の細やかな感性で和風化させ、独自の文化として、創り上げていったんだってね。この恩恵がなければ、今の日本の文化はもっと薄っぺらなものになっていたかもしれないよ。

この三文文士のでんさん、趣味で琵琶をやってるそうだ。その楽器も昔中国からの伝来だって。それでよけい肩入れするのかもしれないけどね。

お隣さんは、今スゴイ勢いで経済発展しているけど、その分、工場の煙突もいっぱい煙を吐きだしているんだってね。“ 

「まず豊かになれる人から豊かになろうと」とかで、十四億人の民が豊かになっていくのは、けっして悪いことではないけど、昔の北京蒼天に戻れるのは何時のことやら・・・。

聞くところによると、温暖化のあおりでタクラマカンの西からドンドン砂が押しよせ、大昔、西域にあったロブノールの湖と湖畔の楼蘭の都が砂上の幻となったように、あの満々と水を湛え流れる黄河もやがて十四億の民で飲み干して、枯渇していかねばと・・・。
いやいや、カエルの分際で取り越し苦労することもないけどさ。

まあ、僕はこの池のささやかな水だけがあれば満足なんだ・・・。 (つづく)