行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
人はこの世に生まれきて、淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)や。やがて消えゆく運命(さだめ)かな。秋の木(こ)の葉も色づきて、都の北は高野川、鴨の流れに交わりて、玉依日売(たまよりひめ)を祭りたる糺の森を分け入れば、何地(いずち)の寺か東山、梵鐘(ぼんしょうの音(おと)流れ来て、御祖(みおや)の神社(やしろ)に消え入りぬ。
瀬見の小川の清ければ、月も流れに身を寄せて、波にたゆたう紅葉(もみじば)の色に染まりて漂いぬ。 生まれ棲(す)みにしこの社(やしろ)。幼き頃に乳人(めのと)より、雲居(くもい)に住むと教わりし、未だ見ぬ母はおぼろ月。鴨の下社(やしろ)のねぎ禰宜(ねぎ)なりし、父の面影も遠のきぬ。
有為混濁(ういこんだく)の空蝉(うつせみ)に、むなしく大原山の雲に伏し、いつしか日野山に身を隠す。埋火(うずみび)尽きなん我が身かな。
今宵、花月を友として、手慣れの琵琶を携えて、ほろろと奏でる四つの緒(お)に、衣の袖やしおるらん。
初めは流風(りゅうふう)弾法の揚真操(ようしんそう)に、石上流泉(せきじょうりゅうせん)、興(きょう)むくままに秋風楽(しゅうふうらく)。秘曲ずくしをあやつれば、桂の風も葉を鳴らし、御手洗川(みたらしがわ)に波たちて、一陣の風吹き渡る。
ふと見上ぐれば宵待月(よいまちづき)や、もみじ舞い散るその中に乙女の姿現れたり。
『風に誘われ、もみじ葉の、散りしく我は花の精、おのが母御(ははご)に頼まれて、今日の訪れ待ち居たり。君が手だれの琵琶の音(ね)に妾(わらわ)も一差し、舞いてかし』
口上述べるや舞扇、かざして涼ろな眼差(まなざし)を、向けてぞ撥をばうな促がしぬ。
やがて口ずさむ今様(いまよう)の、謡(うた)玲瓏(れいろう)と響きなん。
吹く風に、消息(しょうそく)をだに 托(つ)けばやと思えども
糺の森に落ちもこそすれ
右に左に舞扇、薄紅(うすくれない)の唐衣(からごろも)、 長き黒髪、後ろに束ね、細き面差(おもざし)紅化粧(べにげしょう)。
鴨長明、感じ入り、やがて、歌をぞ返しける。
風わたる、糺の森のさびしきを
雲路(くもじ)通いて吹き届けよかし
北山おろしの秋風に、ふと撥止めて見渡せば、乙女の姿、掻き消えぬ。
こころ身にしむ宵闇に、虫の音(ね)冴えて松ヶ枝(え)の、風の渡りの音のみぞ。
そは幻(まぼろし)か、妖しき女性(にょしょう)の乱れ髪。
1 創作の動機
”石川や、瀬見の小川の清ければ、月も流れをたずねてぞすむ”
新古今集にある長明の歌。彼の詠んだ歌の中で、私のもっとも好きな歌です。私は、約10年前、この歌からイメージして幽玄能のような琵琶歌を作ってみたいと思っていました。出来上がったが、この「糺(ただす)の森幻想」です。
糺の森は、勿論、彼が生まれ育ち、父が神職として仕えた下鴨社のある森です。糺の森は、ご存じのように高野川と加茂川が合流し、名を変え鴨川となる河合(ただす)の三角地帯。そこの森の中には、御手洗川(みたらしがわ)と瀬見の小川が流れています。
17歳の時、父に先立たれました。享年31歳という早すぎる死でした。彼の母の事は分かりません。早く亡くなったのか、それとも、当時よくあることですが、高貴な館(例えば高松院)の女房として仕え、乳母任せだったのか、長明の著書その他周囲からは、窺うことはできません。
父の死後、彼は、30歳頃まで父方の祖父母のもとで暮らしました。糺の森は、今も秋になると紅葉がきれいです。彼は、楽器を作るのも巧みで、手が器用でした。一面は、名器の誉れ高い、愛器の継ぎ琵琶を「手習い」と名付け、大事にしていましたが、出家後、後鳥羽院に所望され、泪をのんで手放しました。このことは、彼の友人、源家長の日記にその顛末が記されています。また、冒頭の歌「石川や・・・」には、長明の得意満面の顔が見えるような小事件が絡んでいます。処は上鴨社の森での歌合せ、歌合わせというのは、二人が歌を詠み合いその優劣を判示者が判定するのですが、一旦負けと判定された勝負が、後で、「瀬見の小川」が古歌の歌枕にあることが分かり、ひっくり返りました。
本日の創作琵琶歌(フィクションです)は、鴨長明が、64歳を越し、方丈記や発心集を仕上げ、余命の幾ばくもないことを悟り、暮れなずむ秋の一日、琵琶を抱えて、懐かしい故郷の森に別れを惜しむべく、尋ねるところから始まります。亡き父母に想いを馳せ、昔、笹舟を流して遊んだ瀬見の小川のそばで、秘曲の「石上流泉」を弾いていると、ふと紅葉舞い散る中に、幻の舞姫が現れます。母に頼まれ、月から舞い降りたと告げます。物心ついて会っていない、未だ見ぬ母、乳母には、「母上は月に棲んでいるのよ」教えられて育った幼い頃。
今しも、秋たけなわ、京の洛北、糺の森も、これから紅葉に、一面彩られることでしょう。
注) <月心漫筆>に、「鴨長明の追っかけやって25年」を掲載しています。ご参照ください。
(本琵琶歌の著作権は「琵琶月心会」が有しています)
2 制作こぼれ話 ~作成中