~追憶の歌人・建礼門院右京太夫・伊子
(謳い出し)悲しき寿永秋暮れて、今は、はかなき壇ノ浦、戦の余燼未だ覚めやらぬ、平家追われる京の町、(中干)頃は文治二年朝まだき、三条通りを密やかに、女車の出だし衣、(変調)薄靄かかる高野川、糺の森を打ち過ぎて、八瀬街道を忍びなば、(陽戦法)楢の葉騒ぐ山陰や、猿の声か鹿の音か、いと覚束なくぞ覚えたる。
(披講調) 岩根ふみ、誰かは問わん楢の葉の
(地)はるばると、訪ねる大原、西の山、一宇の御堂、寂光院、柴引き結ぶ草の庵、まさきの葛、青葛、籬にからむ蔓りんどう、赤実、青実、付けにけり。黒染め衣に身を包む建礼門院在わすなり。
(吟替)今は昔、右京大夫の召名にて、内裏の後宮藤壺に、宮仕えに上りしは十七の春。主人は中宮徳子様、今宵帝がお渡りと、お顔ほんのり桜色。(地)お二人並べば夫婦雛、男雛は凛々し高倉帝、女雛は紅梅下重ね着に、紅色透けて綾なせる、香染めの小袿かぐわしや、
(中干)雲路を分けて、降りそそぐ、月の光は中宮様、お上はまばゆき太陽と準え、夢見る伊子かな。
(上げ歌) 雲の上にかかる月日の光見る
身の契りさへうれしぞ思ふ (伊子)
(吟替)昔、天子の国母とうたわれて、百官悉く仰ぎみる。今、天人五衰秋深み、裏山おろしに風すさぶ。思いもよらぬ現世に、はたまた還る縁とは。幼き帝と分断の運命悲しきわが身かな。(地)六道輪廻、経めぐりて、読経によすが求めつつ、菩提弔う日々なりき。
(大干)夢かうつつか七年ぶりに、旧主のご尊顔拝するや、「お方様」と絶句して、堰来る涙止めどなく、嗚咽にむせぶばかりなり。女院、やさしく手をさし伸べて、
(素声)「右京大夫、よくぞ訪ねてくだされた。そなたも良き人儚く成りて、心のうちや、いかばかり」と、(地)久方の伊子を思いやれば、阿波内侍に大納言佐も、おそばに侍り、ただ涙。あとは、今は昔の物語、時を忘れて、語らえば何時しかに、はやしのび寄る秋の暮れ。しじま破りて山杜鵑、一声高く飛び去りぬ。
(下げ歌) 今や夢昔や夢とまよわれて
いかに思えどうつつぞなき (伊子)
(地)想い出ずれば、治承元年春のころ、中宮徳子様、父清盛公の西八條邸へ里帰り、平家一門続々と、こぞりて開くや春宵の宴、維盛の笛、経正の琵琶、伊子奏でる筝の音や。
管弦の音華やかに、釣り殿渡り、さざ波揺れて、中の島に流れたり。桜手折て中宮様へ手渡す蔵人資盛様に見初められる今宵の伊子かな。
(今様風)) 恋路には迷い入らじと思ひしを
うき契りにもひかれぬるかな (伊子)
(陽戦法・崩れ)逢瀬重ねて幾年や。やがて平家の都落ち、いざ、弓矢取る身の資盛様は、兵率い、都を立ちて、西の方にて戦いぬ。頃は元暦二年桜花の季節、哀れとどめる(下の下)壇ノ浦。(地)祈りはむなし、
(中干)君の散り際、聞かばこそ、ただ茫然といつまでも、うち伏し泣きいる伊子なり。
(上げ歌) なべて世のはかなきことを悲しとは
かかる夢みぬ人やいひけむ (伊子)
(謳い出し)嗚呼、寂光院幾星霜、裏山の渓流たどりなば、石段上がりて、樟の木聳え、五つの石塔並びたり。一つは、右京大夫と伝えらる。
(和歌調・繰り返し) 山深くとどめおきぬる我が心
やがて住むべきしるべとを知れ (伊子) (了)