2014年11月28日金曜日

琵琶の歴史3 :第一話 ビワ フロム シルクロード②~ シルクロードは日本文化の源流


シルクロード(絹の道)は、東西を結ぶ交易路で、東のアジアの大都市、長安から西のヨーロッパの入り口、東ローマ帝国のコンスタンチノープルまでの約4000キロの道程を言います。大沙漠を海原になぞらへ、“砂漠の船”といわれる駱駝(らくだ)の隊商が絹を運んだ道として知られていますが、そのシルクロードはまた、絹だけでなく、東西の産物や、楽器や音楽を運んだ往返の道でもありました。


前述の漢以降も、北魏、・随・唐の時代を通じて、隊商や西域に遠征した軍人たちが、シルクロードを通って、その民族色豊かな西域の音楽を、古代中国にもたらし、文化の伝播役を果たしたのです。

また琵琶は、シルクロードを旅するつれづれの道すがら、単調な沙漠の旅を慰める友でもありました。京劇の題材にもなっていますが、漢の時代、勅命で、琵琶の音を慰めに、勾奴に嫁入りした王昭君の哀話は、琵琶がシルクロード往還の携帯楽器であったことを物語っています。

 長安を出て西に辿れば、約600キロで黄河に突き当たります。渡河すれば蘭州、ゴビ灘の河西回廊が始まります。武威、張掖、酒泉、敦煌の四郡を過ぎると沙漠地帯になり、異域に入ります。そこから三つの西域ルートがありました。先ず玉門関からは二つに別れる道、天山山脈の北のステップ地帯を通る、①西域北道(天山北路)。同山脈の南麓を行く②西域中道(天山南路)。もう一つは、陽関を出て、崑崙山脈の北裾とタクラマカンの南側に挟まれて走る、③西域南道(天山南道)です。

いずれの道も炎熱のタクラマカン沙漠を通らなければなりません。後漢の求法僧の法顕(ほっけん)伝によれば、

「沙漠の中は、しばしば悪鬼、熱風が現れ、これに遇えば、皆死し、一人として無事なるもの無し。上に飛鳥無く、地に走獣無し。目を極めるところ、行路を求めんとするも拠り所無く、ただ枯骨を標識とするのみ」

沙漠を横断する道しるべが、風沙にさらされた動物の乾いた骨だけというのも驚きです。「ここに入ったら二度と生きては戻れない」という意味のタクラマカン大砂漠―ここをなんとか抜ければ、ようやく西端のオアシスの都邑、カシュガルに辿り着きます。旅人は、ここで一息入れ、峻険のパミール越えに備えるのです。

世界の屋根、パミールの峠を越えれば、康国(サマルカンド)に出ます。あとは中央アジアを通り、黒海の方向をめざす行程ですが、その道のりはまだまだ果てしなく続きます。(つづく)